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9月23日(火) 私の携帯が鳴った。
長渕さんの画のお手伝いをさせていただいて、15年位になりますが「木」に描かれるのはここ2〜3年のことで正直私も慣れていなかった・・・早速、何件かの業者に聞いてみたが、断られてしまった。なかなか普通の塗装屋さんや木工所はただの木や家具に塗ることは多いのだが、人の描いた「作品」の上にニスをかけるということはやりたがらない。 鹿児島の職人さんに連絡を入れると快く引き受けて頂けることになり、さて運搬という段になり、考えた・・・ ・宅急便・飛行機・エアカーゴ便・・・鉄道は無理である、何せ作品は 縦130×横120×厚5(cm) の熊本産、樹齢200年の楠木を長渕さん自らが選ばれ「歓喜、怒り、叫び、慈しみ」などを気合を入れて描きあげた「不動明王」である。万が一の破損が怖い・・・よし!自分で陸送しよう!『ちょっと、と・と・遠いけど・・ ・(汗・笑)』 10月13日(月) 長渕さんのお宅に作品を預かりに行った。完成した作品は見た瞬間、正直声がでないほど素晴らしいものであった。途中の段階でまだ「眼」が入っていないとき一度拝見していたが「眼」が入ると迫力が全然違った。まさに『魂』が入った感じだ!!私と相方二人で車に積み込む時に長渕さん自らお手伝い頂き、その際に私の「軽ワゴン車」(作品サイズ、ギリギリ)を見て「この車で鹿児島までいくの?」と言った時の長渕さんのちょっと驚いてその後ニコッとされた顔は今思い出しても微笑んでしまいます。
10月14日(火) 早朝5時出発、当初、鹿児島まで走るつもりでしたが、安全面、効率面も考慮し、中央高速(東名が集中工事のため)で大阪まで行き、カーフェリー(船内一泊)に乗り継ぎ、宮崎入りして鹿児島まで運ぶことにしました。
10月15日(水) 早朝、カーフェリーから見た、日の出の美しさは桜島コンサートでみんなで引っ張り出した朝日を思い出し胸が熱くなり忘れられないものとなった。
PM 2:30 作品をお渡しして、前もって送ってあったサンプル画(剛さん筆)のニスコーティーング見本(絵具との相性、ニスの光り具合、などをチェックするため)を受け取り今後の日程を考慮し鹿児島滞在約2時間程で今来た逆のコースで東京への帰路に就いた。 10月16日(木) 見本のコーティングの仕上がりを長渕さんが見られて、その日の夜「前回のものとイメー ジがまったく違うなぁ・・・」との電話を頂く。予想通りであった、私も前回の作品は見ていなかったのだが今回の見本の仕上がりは、光沢、透明感などが生きていなかった。特に今回の作品は燃え盛る紅い炎が生命(いのち)であると思ったからだ。私はサンプル画発送の際の書き添え文の言葉足らずを謝罪した。すると長渕さんは 「初めてやる事はみんな判んないよ、でもこういう時こそ、それをプラスに考えて前に進むんだよ」とおっしゃった。これが長渕さんのエネルギーであり原点でもあるのかと私の胸に響いた。 「栗山ちゃん、一回、いっしょに鹿児島行こうか?それでイメージを直接職人さんに伝えるよ」当たり前だがこの画に対する長渕さんの想いが並大抵ではないことが感じられた。
10月20日(月) 長渕さんと蛯沢マネージャーと私3人で羽田発 9:15 の飛行機で鹿児島に向かう。昼すぎ、鹿児島の塗装の仕事場到着。親方もやや緊張気味であった。
その後、明後日完成する作品のここ鹿児島からの運搬方法の話になった。空輸が日数的に確実だろうということになりかけたが、長渕さんが「大変だろうけど、行きも無事運んでくれたし、日数も1日しか変わらないし、レンタカー借りられるなら、帰りも栗山ちゃんに頼みたいな」と言われた。その言葉に私は心の中で「ヨッシャー!!」と叫んだ。 10月21日(火) 当初の予定では私は残り、長渕さんは今日午前の飛行機で東京へ戻られることになっていた。しかしこの日の朝、長渕さんから携帯で「栗山ちゃん1人、鹿児島に残すのは忍びないから俺も明日まで残るよ!」とあり「も、もったいないお言葉〜」と恐縮しきりでありました。そして信じられないことに長渕さんの運転で昔長渕さんが子供の頃泳いだ砂浜やアルバム「Come on Stand up!」のなかの歌ゆかりの地をドライブしたのだ。あの「観覧車」の前に長渕さんと立っている自分。縄文の森公園の人型看板の横でおどける長渕さん、素晴らしい展望の丘で「この丘からこの絶景を見ながらコンビニ弁当を一人食ったんだよ!」と笑いながら懐かしむ長渕さん。私は今、目の前でおきている現実が夢のようで嬉しくて嬉しくてたまらなかった。 その日の夜、ジムでのトレーニングにお付き合いさせていただくことになり宿泊先のホテルの下集合で私が駆け つけた時、長渕さんの表情は、昼間の穏やかなものとは一変しておられ、ジムまでの車中も一言も発せられなかった。すでにトレーニングという「戦闘」モードに入っているのだろう。それくらい過酷な鍛錬がこの数分後長 渕さんを待ち受けていることを察せずにはいられなかった。そしてそのトレーニングは想像を絶するもので、「なぜそこまで追い込むのか」と正直思い見ていて、痛々しいほどであった。長渕さんのその殺気に満ちた雰囲気の中でのトレーニング。毎回のことなのだろう、長渕さんの気合の雄叫びにも回りの人たちは一切動じず、己への鍛錬に集中している。私はただただついていけず、吐き気まで模様していた。わたし用に長渕さんが調整してくれる長渕さんの何分の一という軽いウエイトでのそれにも大きな声で数を数え、やり終える度にハイタッチしてくださる長渕さん。私はその眼を恥ずかしくて悔しくてまともに見られなかった。10年以上前、長渕さんが、 たたみ一畳位ある紙に「肉体改造」と書いて額装し自らを奮い立たせていらしたたことが甦ってきた。有言実行の人である。自分ももっと精進して心も身体も鍛えて1ミリでも僅かでも長渕さんに近づきたいと思った。 トレーニングが終わって車にもどった長渕さんが「熱く生きて、後悔せず、『ああ今日もやりきった!』って思える人生にしていこうよ!」「ものを創り伝えるってことは上手い下手じゃなくて激しく響き合わなけりゃダメ なんだよ!」とおっしゃった・・・その言葉に私は声が詰まってしまった・・ 私はいつも長渕さんの歌に助けられ、詩画に勇気をもらってきた。長渕さんの何百枚という数の詩画に携われた喜び、誇り、それは仕事を超えたどこか目に見えないところ、言葉で言えないところで自分は動いてきた気がするのです。そしてこれか らも生半可な気持ちで長渕さんの画に携わってはいけないとあらためて強く思った。 そのあと新保師範もご一緒して車で温泉に行った。そこはまさに湯治場で、とても雰囲気が良く、夜遅かったこともあり明かりもないところを長渕さんは勝手知ったるという感じで電気をポンポンポンと点けて入って行き、 男4人薄暗い湯船にゆっくりとろけるように浸かった。長渕さんと師範の会話が楽しく、時には写経から四国遍路までとやや精神世界にまで及び、私は居心地の良いこの場にいつまでもいつまでもいたい気持ちに駆られながら疲れを癒しました。 10月22日(水) 私は長渕さんと別れ、一足早く朝9時にレンタカーでホテルを後にした。いよいよ今日ニスコーティングした完成品をピックアップして前回同様、カーフェリー&高速道路で東京に戻るのだ。
10月23日(木) AM 7:30、大阪港に降り立ち、その後、名神高速、中央高速を経て PM 4:30、東京の長渕邸に無事着いた。
10月26日(日) TVのオークション収録に立会わせていただき、あらためて「カンボジア学校建設」という素晴らしいプロジェクトに感動を覚えた。そしてコメントの中で長渕さんが「鹿児島までこの画を運んでくれた人間がいた」とおっしゃって頂いた時には感激で震えました。また素晴らしいコーティング仕上げをして戴いた塗装職人の親方他、ご協力頂いた方たちに深く感謝申し上げます。 |