ライブレポート THANK YOU ACOUSTIC TOUR 2016 2016年9月2日/東京公演2日目
text: 栗原 康 photo: 西岡浩記、辻 徹也




暗闇が尋常じゃないほどの熱気をかもしだしている

 いま、長渕剛は全国ツアーのまっただなかだ。8月12日の鹿児島にはじまり、仙台、福岡、名古屋、東京のライブを終えて、これから札幌、大阪、広島へとまわっていく。わたしは福岡、名古屋、東京のライブを拝見させていただいたのだが、どの会場もものすごい盛りあがりをみせていた。最初にはっきりと言っておこう。今回のライブ、最高だ。なかでも、9月8日、東京公演の2日目は神が降臨したんじゃないかというくらい、ほんとうにすばらしかった。舞台はZEPP東京。全18曲、2時間40分にもわたるライブがあっというまに感じられるほど、長渕のパフォーマンスにひきこまれてしまった。わたし自身、いまでも興奮がさめやらないので、その様子をすこしでもお伝えしたいと思う。
 まずは19時、開演直前。会場が真っ暗になると、いっせいに剛コールがはじまった。嵐のような歓声だ。「ツヨシ! ツヨシ!」の声が大きすぎて、もうなにを言っているのか聞きとれない。ふつう真っ暗になると、会場が静寂につつまれそうなものだが、そうじゃない。暗闇が尋常じゃないほどの熱気をかもしだしている。ZEPP東京では観客が密集しているから、暗くなるとなおさら隣の息づかいや熱気が伝わってきて、それがさらなる熱気をうみだすのだ。しばらくするとピアノの音にあわせて、ステップを踏みながら長渕が登場してきた。スーツに帽子、サングラスだ。ああっ、あのころの長渕剛だ、アニキ!! 全員がそう思ったにちがいない。長渕がマイクの前にたつと、ふたたび真っ暗になって、後ろから強烈なスポットライトがあてられた。長渕の影だけが、フワッと浮かびあがってくる。そこからハーモニカが鳴りひびくと、しぜんと会場が静かになった。
 ハーモニカをとめると、うっすらと赤い照明がともされた。そして、力強い声で、長渕が観客にむかって、こう問いかけた。「おい、元気か?」。もう、あたりまえだといわんばかりの大歓声だ。長渕が「60歳になったぜ」と言うと、会場からは「おめでとう」の声が返ってくる。それにこたえるかのように、長渕は「世のなかじゃ還暦、還暦というけど、オレには関係ねえ」とさけんだ。死ぬまで、歌いつづけるんだと。それから、LINEの友だちが72万人を越えたことをつげ、「100万人越えたらどうするよ。こんどは、おまえらが東京ドームを貸し切ってオールナイトで歌うんだぞ」と言う。しかも、ゲストとして呼んでくれれば、ハーレーに乗ってノーギャラで駆けつけてくれるというのだ。そのことばを聞いて、観客はもう夢み心地だ。するとすかさず、ピアノがアップテンポになっていって、一曲目がはじまった。「BAY BRIDGE」だ。「そのままお前をさらって、夢のなかへ消えた。あれは夕焼け染まる YOKOHAMA BAY BRIDGE」。かっこいい。ほんとうに夢のなかにつれていかれそうだ。



よくぞみんな富士に来てくれた、ありがとう!

 1曲目を歌い終えると、またピアノにあわせて語りはじめた。「1年前の今ごろ、よくぞみんな富士にきてくれた。ありがとう!」。2年前から、いろんなところに頭をさげにいったけど、ダメだめつくし。現実は厳しかった。しかも本番の10日前、リハのために富士にはいったら、来る日も来る日も、雨、雨、雨。どうなることかと思った。それでもたえしのんで、やりとげることができたのは、遠路はるばるやってくるみんながいると思えたからだと。長渕は、それは恋する気持ちにも似ているんだと言う。「たとえば、好きで好きで好きでたまらねえやつが、はるか何百キロも遠くで待っていてくれたとしたら、オレはどんな思いをしてもそいつに会いにいく。血だらけになっても這いつくばってもそいつに会いにいく」と。
ようするに、ひとを愛するということは、そのひとのためになにかしてあげたいと思ったら、相手に導かれていくかのように、自分の身なんて投げ捨ててしまって、なりふりかまわずに動いてしまうということだ。長渕は観客にむかって、オレとおまえらの関係はそういうもんだよな、ずっとそれを大事にしてきたんだよなと言っているのである。「そしたら神様がいたよ。霊峰富士のてっぺんから太陽が昇った!」。長渕がそうさけぶと、みんなあのときの光景がよみがえったのだろう。ドッと歓声がわきあがった。わたしなどは涙してしまったほどだ。
 ここから、2曲目にはいる。「生意気なパートナー」。とてつもなく苦しい、失恋の歌だ。「オレの右手から赤い鮮血が流れだしたんだ。だけどお前は生きかたを選んで出ていっちまった。小さなウソとぜいたくが好きな生意気なパートナー。満たされた腹を抱え、つぎはだれの胸に転がるのかい」。この歌声がまたすさまじい。いちど地べたを這いずりまわされるかのように、底へ底へと感情が沈まされたと思うと、そこからいっきに上方へとひきあげられていく。しかもそれにあわせて一本、暗闇のなかにスッと光がさしこまれるのだ。どん底に突き落とされても、それでも光をもとめてさまよい歩く、歩かされてしまう。真実の愛というのは、そういうものなんだと。きっと長渕はわたしたちにむかって、そう訴えかけているんじゃないかと思う。





ファシズムの傾向にあるこの時代に、
ちょっとでもオレたちの影響力を見せてやろうじゃないか

 それからライブの前半、長渕の気迫がいっきに爆発したのが、4曲目だ。最初、長渕はあらためて、観客にやさしくこう問いかけた。オレたちの関係って、一体なんなんだろうねと。「恋愛みたいなもんだね。恋人であって恋人じゃないし、友だちであって友だちでもない。週刊文春にでも書いてほしいね」。会場がドカンとなる、大爆笑だ。でも、ここから長渕のボルテージがグングンあがっていく。「テレビやインターネットを見ていると、腹立つことばっかりだろうが。不倫だの人殺しだの強姦だの、芸能ネタも政治ネタも社会ネタも、ミソクソ一緒。なんでもかんでもわがしり顔で、知りもしねえやつらが鬼の首をとったかのように正義をふりかざす。これ、一億総いじめだよ」。「いまファシズムの傾向にあるこの時代に、ちょっとでもオレたちの影響力を見せてやろうじゃないか」と。
 社会の同調圧力といっていいだろうか。テレビやインターネットを見ていると、右むけ右、みんながおなじ方向をむいて、おなじことを言わなくてはいけないと思いこまされる。ちょっとでも足なみを乱すと、吊しあげられるからだ。長渕は、これをファシズムの傾向と言っている。たとえば、不倫。たいして知りもしないくせに、いたいけな少女を寄って集って、ブッ叩く。いじめだ、しかもそのいじめが正義面して行われるから、たちがわるい。ほんとうは、ひとを好きになる気持ちなんて、だれにもなにも言えないはずなのに。というか、たとえ報われない恋だったとしても、自分の生活を壊してしまうような恋だったとしても、それでも自分のことなんてどうなってもいいから、相手のことをおもってしまう、なりふりかまわず動いてしまう、それが愛というものだ。いまの社会は、そんなあたりまえのことさえわからなくなってしまっている。
 だから、長渕はいちどテレビを消そう、パソコンを消そう、明かりを消そうと呼びかける。「目をあけていると見えないもの、聞こえないものがあるから、オレはときおり明かりを消して、何かを探している自分に気づけるさ、だれかがオレを探していることに気づけるから孤独じゃないさ」。ふだん、わたしたちは視覚だけでものごとを判断しがちだ。パッと見て、わかりやすい情報だけで動いてしまう。損か得かとか。でも暗闇に身を沈めると、それができなくなる。そうすると、ちがう感覚がはたらくのだ。たとえば、亡くなったあのひとに会いたいとか、自分の名を呼んでくれている誰かがいるんじゃないかとか。そうやってひとをおもう、やさしい気持ちがフッとわきあがってくるのだ。
 そんなことを言ったあと、長渕はゆっくりと歌いはじめた。「かりそめの夜の海」。「月が落ちてくるまで、心静かに君をみてる。銀色の鏡に流れる、とりとめのないやさしさよ」。その歌声にあわせて、暗闇のなかに星をかたどった青い光が照らしだされる。会場全体が、やさしさにつつみこまれていくようだ。そして長渕は前方を指さして、こう歌いあげる。「悲しいのは君だけじゃない。涙するのは君だけじゃない。いつか君と二人でみた、僕はあの海に帰るだけだよ。泣きたい夜はそこへ駆けてこい」。わたしだけじゃない、会場全体の心が震えているのがわかった。おそらく、この曲を聴いて、みんな、なぜこのライブが暗がりでおこなわれているのかということに気づいたはずだ。それこそ視覚だけじゃない、五感のすべてをはたらかせて。




思い切り勝手にやります、
他人に迷惑をかけなければ、勝手にやります

 さて後半。8曲目になると、パッと明かりがついて、長渕が軽快にギターをひきはじめた。「JEEP」だ。ウワーッと、大歓声がなりひびく。たぶん、観客はみんなでいっしょに歌おうと思っていたんじゃないだろうか。でも、それができない。なぜかというと、超高速だからだ。ギターを弾けばひくほど、どんどん加速していく。すごい、歌もギターも神業だ。きっと、これは長渕からの挑発だ。そう簡単にのんびりいっしょになんて歌わせないぞ。ついてこれるものなら、ついてきやがれと。今回のライブのテーマのひとつは、社会の同調圧力になんてしたがわないというのがあると思うが、それを、身をもって示していたんだと思う。なにも考えずに足なみをそろえるのはもうやめようと。でも10曲目、「交差点」になると、逆のことがおこる。長渕がゆっくりとみんなで歌おうとするのだが、こんどは観客が長渕を追い抜いてゆく。観客がはやくはやくと、「わかりあえないはがゆさを感じはじめた僕らが」と歌いだしてしまうと、長渕が「このせっかちめ」と言って、笑いながらいっしょに歌う。会場もドッとわいていた。
 それから数曲つづいて、アンコール。最後の曲だ。このとき、長渕は観客にむかって、みんなで約束しようと語りかけた。「思い切り勝手にやります。他人に迷惑をかけなければ、勝手にやります。誰がなんと言おうと、我が道をゆくままをオレとおまえらで作っていくからな」と。なんど叩かれ、突っ伏してもいい。中途半端に突っ伏すくらいなら、平部になってぶっ倒れよう。そうすればと言って、長渕は思い切りジャンプしてみせてくれた。そこから、ほんとうの飛躍がはじまるということだ。そして、歌うのはこの曲だ。「Myself」。「だから真っ直ぐ真っ直ぐ、もっと真っ直ぐ生きてえ、寂しさに涙するのはおまえだけじゃねえ」。長渕が「これはおまえらの曲だぞ」といって、存分に歌わせてくれた。わたしたちも全力で歌いながら、まわりになにを言われてもかまうもんか、失敗してもいい、勝手にやってやるぞと、そんな気持ちをかみしめる。そうして曲を終えると、長渕は「東京、ありがとう!」と言って、笑顔で会場を去っていった。


上下にふられるそのギターは、
この腐った社会に銃弾を撃ちこむ機関銃だ

 しかし、この日の公演が神がかっていたのは、ここからだ。暗闇のなか、もういちど長渕がもどってきたのだ。とつぜん、激しくギターをかきならす。なんの歌だろう。すると、さっきまでの笑顔からは一転。強い口調で、こう語りはじめた。「世界は戦争をやりたがってる。戦争をやればカネが儲かるらしい。戦争に正義なんてありゃしねえ。そのうち、だれかが日本を乗っ取ろうとしてる。ボヤボヤするな、ボーッとするな、急げ、急げ、急げ、急げ、戦争の準備がはじまってるかもしれねえぞ。だまされるな、マスコミに。正義のつらした知ったかぶりしてるやつらの言うことに耳を傾けるな」。「だまされねえぞ、マスコミ。だまされねえぞ、ビルボード。だまされねえぞ、ワイドショー。ウオー、ウオー、ウオー」。そして、ここからはじまったのが、なんと「乾杯」だ。
 おそらく、ここで「乾杯」をやるとは、ほとんどのひとが予想していなかったんじゃないだろうか。しかも歌いかたぜんぜんちがう。強い、激しい歌いかただ。観客がいっしょに歌うことができないくらい、長渕が先へ先へとすすんでいくような歌いかたをする。「君にしあわせあれ」と歌うと、そのまま「あれー、エー、イェー!イェー!イェー!」と高く高く絶叫していく。すると明かりがぜんぶ消えて、一瞬、真っ暗になったかと思ったら、パッパッパとスポットライトがついたり、消えたりしはじめる。そして、そのなかで長渕が激しく体を揺さぶり、ギターを上下にブンブンふっているのだ。
このとき、わたしはこう思った。上下にふられるそのギターは、この腐った社会に銃弾を撃ちこむ機関銃なんだと。実際、それを想起させるかのように、長渕はギターをダッダッダッダとかきならし、さらにボーンボーンと太鼓のようにはたいてみせる。そして、そのまま激しくギターをかきならした。最後は、もっていたピックがふっとんだほどだ。でも、長渕はそれでもおかまいなしと、指がもげてしまうんじゃないかというくらい、ギターをガンガンかきならした。すごい、すごすぎる。見ていて、聞いていて、感じていて、体中に激震がはしった。そうだ、長渕は戦争動員へとむかっていくこの社会に、ギター一本で闘いを挑もうとしているのだ。
 ただでさえ、マスコミの言うことを聞いて、右むけ右で動いてしまうこの社会。一糸乱れず足なみをそろえさせられ、乱すと一億総いじめにあうこの社会。そこに、お国のために、ということばが入ったら、もう完全にファシズムだ。お国のためなら、いくら死んでもかまわない、殺してもかまわない。逆らうやつは非国民だと。長渕は、そんな社会がすぐそこまで来ていると思っている。だからこそ、もっともポピュラーで、なおかつもっとも穏やかな歌だとみなされがちな「乾杯」を、ここまで攻撃的な歌に変えて訴えかけているのだ。体とギターを揺さぶりながら、だまされねえぞ、マスコミ。したがねえぞ、戦争動員。勝手にさせろ、ひとのしあわせを奪うんじゃねえと。
 さて、いいかげん、わたしたちも長渕一人を闘わせているわけにはいかない。そして、それはそんなに難しいことじゃないはずだ。長渕と約束したように、一人ひとりが思い切り勝手にやる、自分のために、他人のために、なりふりかまわず思ったことをやる。そういうことなんだと思う。そんなことを考えていたら、あっというまに曲は終わり、挨拶をして長渕は去っていった。去り際、長渕が「60歳の祝いにバスタオルを作ったんだ」と言って、観客に投げようとした。「だれにしようかな?」と探していると、みんなが欲しいと言って群がってくるが、長渕はステージの右端にいって、車イスの女性に渡してあげた。やさしい。会場から拍手がおこった。まちがいない、こういうやさしさのなかに、ファシズムを撃つ力があるのだと思う。いつだって、長渕はこう呼びかけている。共に闘おう。