ライブも佳境を迎えた頃、剛が照明スタッフに叫んだ。
「GO!」
その時流(とき)は来た。
静寂と緊張が支配する空間の中、剛が自ら手に取ったサーチライトが客席を照らし出す。
『神風特攻隊』の始まりだ。
私が取材した初日のさいたま公演にはなかった演出。
初めて観た私は、言葉にできないほどの衝撃を受けずにいられなかった。
鳴り響く空襲警報、そして玉砕の瞬間。玉音放送が戦争の終わりを告げる。
そして、まるで特攻隊員の魂が乗り移ったかのように、剛が涙ながらに叫ぶ。
「日本人の誰が、俺たちをあそこに突っ込ませたんだー!!」
まるで一本の映画のようだった。映像がなくても十分だ。十分すぎる。
静まりかえった客席。8400人のファンひとりひとりの頭の中で、無益な戦争がもたらす悲惨な光景、そして現在(いま)を生きることの意味など、それぞれが思い描く物語が映像として流れていたに違いない。
私は、9月27日にミャンマーで反政府デモを取材中、凶弾に倒れて帰らぬ人となったジャーナリストの長井健司さんの姿が思い浮かんだ。危険だと分かっていても、誰かがこの国の惨状を伝えなければならない−その使命感を最後まで全うした長井さん。同じジャーナリズムに生きる人間として、同じ日本人として口惜しい。僕たちは、長井さんがなぜ死ななければならなかったのかを考えなければならない。
「“平和な国だね”と友に語れば “堅い話はおよし”と誰もがすり抜けた」
かつて剛が『JAPAN』でこう歌ったように、今「平和」そのものの意味を見つめ直す時期に来ているということを痛感させられた。
長渕剛が長渕剛でありつづける以上、長渕が歌わなければならない曲であり、長渕しか歌えない曲なのだ。ツアー中も常に進化を続けるステージで、スタッフやバンドメンバーとともに寝る時間も惜しんで完成させた演出。
「俺がやらねば誰がやる?」とばかりに、長渕剛もまた、自らの使命感を全うしようとしているようだった。 |